未完で綴る君への曲


 はじめは控えめにメゾピアノのノック。
 “瀬伊くん?……朝だよー”
 扉の向こうからくぐもった声が響いてくる……ここはウナ・コルダで柔らかく。
 “瀬伊くーん、起きてーー!”
 ノックがクレッシェンドして、8分休符
「もうっ、起こしてっていったのは瀬伊くんでしょ!」
 コンモート? んー、それよりはコンアニマ……生き生きと……そっちの方がすずっぽい。
「せ・い・くんっ」
 スタッカートがついた声で体を揺すられる。
 そんなに激しく揺らさなくても、ドルチェで……そっとキスしてくれるだけで目を開けるんだけどな?


 つぎは、と。


 寝返りをうつ振りをして、ほっと油断したすずをベッドの中に引き込む。
「ぎゃぁぁぁぁ」
 あったりー。
 やっぱり激しく動揺する声が耳元で鳴り響く。
 頭の中の五線譜にアジタート……っと記号を書き込んで腕をゆるめると、あわあわと口を動かしているすずを見上げた。
「おはよ、すーず」
「お、おはじゃなくて、何すんのっ」
「何って、恋人同士の朝の挨拶でしょ?」
「ンなっ」
「僕としてはもっと甘い方法が好きなんだけどな……た、と、え、ば……」
「きゃあっ……瀬伊くん離してっ」
 いくら免疫がないとはいえ、そんなに力いっぱい突き飛ばすことないじゃない?
 第一、付き合い始めてもう一ヶ月以上たつのに。
 そういうすずが新鮮で凄く大好きだけど、思いっきり拒絶されるとさすがに面白くないな。
「あーあ……ダ・カーポ」
 繰り返し、の記号。
「なにか言った?」
「……なんでもないよ、独り言……ありがと、お陰でちゃーんと目が覚めたよ」
「ん、なら良かった」
 安心しきった笑顔で朝食の準備に戻る姿を、心地よい温もりが残るベッドから見送った。
 良くないよ、全然。
 こんなに僕の中はすずでいっぱいなのに、近づこうとすればするほど離れるようなもどかしい気持ち。
 もう少し先へ……って期待するほど、すずからストップをかけられる。


 胸に記号を刻み込まれる。


 クライマックスに向けて盛り上がるところで、ダ・カーポ……“最初に戻る”の記号。
 あーあ。





 着替える暇すら勿体なくて、パジャマのまま隣のピアノ室へと向かった。
 もどかしい気持ちをぶつけるように、なだめるように……。
 白と黒のダンスが始まる。
 思いついたフレーズをただひたすら表現しながら、頭の中はすずでいっぱいだった。
 元気いっぱいって意味ではマーチがふさわしいんだろうけど、時々ふっと覗く顔はノクターンのようで……まとまらない音楽性がすずそのもので・・・。
「い〜ち〜み〜や〜」
 低音で響く……。
「羽倉、邪魔しないでくれる?」
「はぁっ!? それは俺のセリフだろーが! 朝っぱらからうるせーんだよ!」
「芸術を理解できないなんて、かーわいそ」
「あー……そうきたか。睡眠を邪魔された俺の方がよっぽどかわいそーだと思うけどな」
「だったらさっさと消えてくれる? 僕、もうちょっと弾いてたいんだよね」
「ったく、はいはい……気まぐれ芸術家様はこれだから……」
 バーンとドアが閉まった。


 気まぐれ……カプリツィオーゾ。


 こんなに真摯にピアノに向かっている僕に対して酷い言い草。


 ……でも、この曲はすずだけをイメージして弾いてるから、羽倉がわからなくても無理ないか。
 わかって欲しくもないけどね。


 思いを込めて、ドルチェ……ドルチェ……アマービレ。


 指がまわり始める。
 頭の中から次々とフレーズが浮かんでくる。
 五線譜に書き写す手間も惜しんで、観客がいないリサイタルを進めていった。


 第一楽章は混乱。


 転がり込める先がここしかなくて、しぶしぶ住むようになった一哉の家。
 適度に離れてて、生暖かくて、一定のペースを掴み始めていた僕の身に降りかかる混乱。
 もう止めようと思っていた筈なのに、いつの間にか隣の部屋にピアノが運び込まれて防音設備が整えられた。
 そうこうしてるうちに“かわいい家政婦さん”が住み込むようになって、僕の心にも入り込んできた。


 ここからは第二楽章……副題はなんにしよう?


 盛り上がっては降りていく。
 彼女の事を好きになって……暴れていた音符がしっくり収まると同時に、気持ちも落ち着いてくる。
あったかくて落ち着く感じ。
 でも、ね……もっと僕の気持ちをわかって欲しくて。
 僕だけを見つめて欲しくて。
 ここには油断できない狼がいっぱいだから。
 独占したくて、つい、彼女に甘えちゃうんだよね。
 ワガママで鈴原を困らせるな、なーんて釘を刺しながら一番困らせてるのは誰なんだよ。
 んもー、音が荒れてきちゃった。
 すずの事しか考えていたくない。


 副題は独占にしよう。


 すずを独占できる権利を手に入れたのは僕なのに。
 すずの中も僕でいっぱいに出来る日はいつ?


 第3楽章は……。


 ながれるように続いていた手がぱたりと止まった。
 ここから先の譜は真っ白のまま。
 すずのキスはどんな味がするの……どんな反応を返してくれる?……どんな目で僕を見つめる、の?
 ポーンとBを叩いて今日は、今日もここまでで終わり。
 ダ・カーポ
 また繰り返しの一日がはじまっちゃう。
 抱きついた拍子にわざとを装って、少し先に進んでみる?


 ……すずに無理強いなんて、出来ない。
 彼女が傷つけば、僕はもっと傷ついてしまう。
 こんなに大切にしてるのに、気まぐれとかワガママとか好き勝手いってくれちゃって。


「あっ、瀬伊くん見つけた! 朝ごはんできてるから……早く着替えないと遅刻しちゃうよー」
「……すず」
「どうしたの?」
「うんん、なんでもない……今日のメニューはなぁに?」
「えっとね、ハッシュドポテトと目玉焼きにサラダとスープ、それにトースト……瀬伊くんのはフレンチトーストにしたけど、良かった?」
「僕のだけ?」
「う、うん、瀬伊くん甘いの好きだから喜ぶかと」
 喜んでるよ、凄く。
 そんな些細な特別扱いが、僕とすずの関係の精一杯。
「メープルシロップもつけてね」
「もっちろん用意してあるよっ、じゃあ急いでねー」
「はぁい」
 甘いのは確かに好きだけど、いま僕が欲しい甘さは違うんだよね。
 いつになったら味わえるのか……キスするのに、こんなに躊躇したのって始めて。
「あーあ」
 ムダに音響がいい部屋に、ため息がはね返された。





 今日何度目かのため息をついて、ぶらぶらと廊下を歩く。
 授業中の学園内は、たくさんの人間をのみ込んでいるとは信じられないくらい静かで、ときどき風に乗って外から掛け声が聞こえてくるだけだった。
 羽倉もその中で張り切ってるんだろうな、寒いのに良くやるよ。
 ま、羽倉の取り柄といったら運動能力くらいだから。
 さて、と……どこで暇つぶししようか。
「せ……一宮くん!?」
 振り向くと廊下の角から驚いた顔のすずが近づいてくるところだった。
「ね、いま授業中じゃないの?」
 まわりをキョロキョロと見渡した後、声をひそめて問いかけられる。
「ふふ、調子が悪くて体育を見学ー、ほら僕って繊細だから」
「……一宮くん」
 呆れたような声。
「すず……原さんは、もうセンセイじゃないでしょ」
 ちょっとイジワルな気分になって、わざと苗字を区切って答えると、うろたえた様に顔が赤くなった。
「でもね、心配だから。ちゃんと授業でなきゃだめだよ」
 心配性で優しいすずは、困ったように眉を寄せて僕を見上げる。
 教師から秘書に変わった格好で。
 僕の恋人はいつも誰かのために動いてる。
「ねぇ、いいこと思いついた。運動できない分、自習」
「はい?」
「ん、この時間ならどのクラスも使ってないよね、じゃあ行こ」
「え、えっ? せ、一宮くんっ」
「まじめに自習してるか、理事長の秘書が監督ってことで」
「えぇ〜〜〜〜〜」
 廊下にメゾフォルテの悲鳴が響いた後、だんだんデクレッシェンドしていった。





 学校の施設とは思えないほど広くて、音響効果が完璧に整えられた音楽室に和音がしみ込んでいった。
「調律もかーんぺき……じゃ、そこで聞いてて?」
「あのねぇ瀬伊くん」
 ギッと椅子を引いて疑問の問いかけを打ち消すと、旋律を奏でていった。
 ピアノのまん前の特等席に座る、たった一人の観客のために、一番聞いてほしい人のためだけに。


 僕の本気を聴かせてあげる。


 はじめは静かな静かなトリルで……徐々にクレッシェンド。


 すずが息をのんだのが、艶のある黒に映った。





 唐突に終わった演奏の一瞬後、すずが興奮した顔で熱烈な拍手をくれた。
「すごい! すごいよ、瀬伊くん!!」
「そう? ねぇ、この曲どう思った」
「初めて聴いた曲だけど、キラキラしてて出だしから引き込まれる感じ!」
 うん、すずはいっつも輝いてて自然と引き込まれるんだ。
「ね、なんていう曲なの!?」
「タイトルは決まってないよ」
「……え?」
「すずが決めて、だってコレすずの曲だから」
「あた、し?」
「うん」
 立ち上がって呆然とするすずの目の前に向かうと、拍手の途中で固まっている両手を包み込む。
「まだ、途中までしか出来てないけど……すずを想いながら作った曲なんだ」
「…………」
「そんなに驚いた?」
「……ビックリ」
 まんまるに見開かれた目をみれば、一目瞭然だよ。
「ふふっ、僕にしか出来ないプレゼント、気に入ってくれた?」
「……感動した……凄く」
 薄くルージュをひいた唇が小さく動いて、視線がひきつけられる。
「ありがと……ねぇ、少しお返し貰っていい?」
 包み込んだままの手を離し、そっと頬に寄せた。
 本音はね、もうダ・カーポはうんざりなんだ。

 震える瞼がゆっくりと閉じられていく。
 まったく音のない世界でするキスは、頭の中に弾けるような音の洪水を巻き起こした。

 これからの毎日は少しづつダ・カーポからダル・セーニョに。
 すずの曲はきっと未完のまま、これからもずっと変化し続けていく。

あとがき

瀬伊といったらピアノ
目の前で真剣顔&本気弾きされたら・・・失神するかもしれません
音って感情に素直に響く、と思うので

久しぶりに記号を思い出しながら書いたのですが、いやぁ忘れてますね
あまり説明くさくなるのもどうかな?と思ったので、話の中にはその意味を多くは載せてません

以下、使った記号の簡単な説明など
(引用元=ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典 「演奏記号」より)

メゾ・ピアノ…やや弱く   ウナ・コルダ…1本の弦で   クレッシェンド…だんだん強く
コンモート…動きをつけて   コンアニマ…生き生きと   スタッカート…音を切り離して
ドルチェ…甘美に   アジタート…激しく   ダ・カーポ…最初から
カプリツィオーゾ…気まぐれに   アマービレ…愛らしく   メゾフォルテ…やや強く
デクレッシェンド…だんだん弱く   トリル…その音と2度上の音を反復   ダル・セーニョ…セーニョ(途中)から