夢のおすそ分け
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「どうしたの? ……どこか痛いの?」 首を横に振る。 「怖い夢でもみた?」 今度は縦に振る。 「おいで」 優しい声に誘われるようにもぐりこむ。 あったかくて、柔らかい匂いに包まれる。 「お母さん、むぎがベッドにいないよ」 おねぇちゃんの声だ。顔を出そうと布団の中でもぞもぞする。 「なぁんだ、ここにいたんだ」 くすくす笑いながら、おねぇちゃんも隣にもぐりこんでくる。 「おいおい狭いじゃないか」 お父さんが笑いながらあたしをお腹の上に乗せてくれた。 「今日はみんな一緒に寝ようね」 「うん!」 そして……あたしは安心して眠りについたはず。 ぼんやりとした感覚が徐々にハッキリしてくる。 なんだ夢だったのか……そう思いながら体を起こした。 もう二度と叶うことのない幸せな家族の光景。 あたしが辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、いつも傍にいた人たちは、もう記憶の中でしか会えない。 それでも目を閉じれば幸せな気持ちが胸を温かくする。 パジャマの上にカーディガンを羽織ると、冷たいスリッパに足を入れた。 どうせ目が覚めてしまったし、あったかい飲み物と一緒に読みかけの雑誌でも。 そっとドアを開けると足音をたてないように階段を降りていった。 もうみんな寝ていると思っていたのに……? キッチンから細い光とカチャカチャという音が廊下に漏れている。 「誰……かいる?」 驚かさないように小さく声をかけてからドアを開けると、先客がバツの悪そうな顔で振り向いた。 「見つかっちゃった」 こげた牛乳の匂いがする。 「瀬伊くん、どうしたの?」 「むぎちゃんこそ」 「あたしは目が覚めて……」 「じゃあ丁度良かった。あったかいココアでも、どう?」 瀬伊くんらしい言い方に笑いがこみあげる。 「はいはい。ちょっと待ってね」 コンロの周りにこぼれたミルクを拭きとりミルクパンを受け取ると、底のこげた部分を洗い新しくミルクを注ぎ火にかけた。 「ちょっと目を離したら吹きこぼれちゃった」 あたしの動きを目で追いながら、すねた口調で言い訳をする瀬伊くんが何だかかわいくて、こらえようとしても声に笑いが混じってしまう。 「瀬伊くんが自分で作ろうとするなんて、ふふふっ、珍しい事もあるんだね」 「ひどいなぁ。僕だってやろうと思えば…」 その結果どうなったかを示す匂いに今度は二人で笑い出した。 「はい、できあがりっ」 甘い匂いに包まれたキッチンはとても居心地が良くて、なんとなく立ち去りがたい思いしていると、瀬伊くんがカウンターに寄りかかって飲み始めている。 自分もマネをして向かい側に寄りかかるとカップを両手で包んだ。 鼻先にふわっと温かい湯気があたる。 出来栄えを保障する匂いを胸いっぱい吸い込むと、その様子を見ていたらしい瀬伊くんがくすくす笑った。 「ふふっ。むぎちゃん幸せそう」 「そんな顔してた?」 「してたしてた。そうだ、顔といえばさ……」 深夜のキッチンで声をひそめてとりとめのない話をしながら、熱々のココアに息を吹きかけた。 「……むぎちゃんにも見せたかったなぁ。あの羽倉の顔」 「もう瀬伊くんってば、そんなにいじめちゃダメだよ」 「だって、面白いんだもん」 話はほとんどが麻生くんに同情してしまう内容だったけれど、陽気な語り口と面白さについ引き込まれる。 飲み終わった後もカップを片付け終わった後も、またカウンターに寄りかかって話し込んだ。 なんとなく、さっき見た夢と同じ、あったかい感覚がした。 「ごめんね、引き止めちゃって」 「ううん、楽しかった」 気がついたらすっかり冷えてしまった体をさすりながら廊下に出る。 「僕も楽しかったよ。うーん、でも、楽しすぎてすっかり目が覚めちゃった」 「あはは、あたしも」 階段の手前でどちらともなく足をとめた。 瀬伊くんの部屋は奥の階段を降りた地下。 あたしの部屋はこの階段をあがった2階。 急に音が消えたのが少し気まずくて、瀬伊くんの顔を見上げてみたけれど階段の影がかかって表情がわからない。 家全体が静まり返っている様子が、今は夜中だという事を思い出させてくれた。 「あの、おやす……」 「ねぇ、むぎちゃ……」 同時に口を開いて、同時に黙り込む。 気まずさが増していくようで焦って言葉を捜すけれど、頭には何も浮かんでこない。 影の中からくすっと笑いが聞こえたような気がした瞬間、手を握られて引っ張られた。 「子守歌代わりにピアノ弾いてあげる。ね?」 何もいえないまま、自分の部屋への階段を通り過ぎる。 瀬伊くんらしい強引さに何も言えないままついて行くけれど、それでも不思議と心の中はキッチンで感じたようなあったかさがよみがえっていた。 「むぎちゃんの好きな曲、何でも良いよ。リクエストして」 「うーん……あまり知らないから…瀬伊くんにまかせる」 「そう? ……じゃあ」 灯りを落とした部屋の中に、ピアノの澄んだ音が響きはじめた。 「あ、これ聞いた事ある!」 「有名な曲だから。ショパンのノクターン第2番、変ホ長調」 「有名っていっても楽譜がないのにスラスラ弾けるなんて凄いねっ」 「ふふっ、ありがと」 鍵盤のうえを流れるように手が動いている。 ふと顔を見ると、普段の瀬伊くんからは想像できないような真剣な表情をしていた。 なにか圧倒されるようなオーラが出ているみたい……。 この雰囲気に言葉は似合わない気がして、目を閉じるとソファにもたれかかり響きに浸る。 曲が終わるとすぐにまた別の曲が流れ始める。 これも聞いた事があるなぁ。 それを何度か繰り返しているうちに、あたしの意識は途切れ途切れになっていった。 体が動かない。重くて、それにあったかい。 「……ん……んんっ!?」 はっと目を開けると、自分が瀬伊くんのピアノを聞きながら寝てしまった事を悟った。 そしてピアノを弾いていたはずの瀬伊くんが自分にぴったりとくっついて寝ている事も。 二人の体は薄い毛布に包まれて一つのかたまりになっている。 どうりで動こうとしても無理な訳だ……って、そんなのん気なこと考えている場合じゃない! 「瀬伊くん……瀬伊くん!」 そっと肩をゆすると不明瞭なつぶやきが返ってきた。 「途中で寝ちゃってごめんね」 「……んー」 「ねぇ、起きて? 部屋に戻って寝たほうがいいよ」 「やだ」 さっきよりは少しはっきりした返事が聞こえるけど、目は閉じられたまま。 「瀬伊くーん……」 「ねむれないんだ……ひとり、だと。……夢の途中で……起きちゃって」 「夢?」 ぎゅっと体を抱きしめられた。 「家族の夢」 なら、どうして? と口にしそうになって、さっきよりはっとした。 瀬伊くんがどうしてここで暮らすようになったか詳しく聞いた事はないけれど、眠れなくなるくらいならきっと家族と何かあったんだよね。 「むぎちゃんが、あんまり幸せそうな顔してるから……一緒なら僕も……」 肩におしつけられた顔の下から、くぐもった声が聞こえてくる きっともう起きているはずとわかっていたけど、さっきみたいに体を離そうとは思わなくなっていた。 「がんばったんだけど、無理、みたい」 だから、お料理がまったくダメで面倒くさがり屋の瀬伊くんが自分でココアを作ろうとしたり、会話を途切れないようとしたり、ピアノを弾いてくれたりしていたのかな……。 嫌な夢から気を紛らわせるために……? 自分が見た夢の光景を思い出す。 あたしはくっついて眠るだけで安心していた。 膝までさがっていた毛布を肩に掛けなおすと、またシルエットが一つになる。 「むぎちゃん?」 「今日だけ特別」 「え? ……うん」 体に回された腕の力が少しずつ抜けていく。 瀬伊くんの頭が少しさがって、うなじに柔らかい髪があたった。 「あの、でも、もうちょっと体を離して、ね?」 もぞもぞ動くとほんの僅かだけど隙間があいた。 すごく小さな声で“ちぇっ”と聞こえたような気がしたのは意識しないようにしながら、目を閉じて一緒に眠りの底へと落ちていった。 |
あとがき
ラ・プリの中で一番つかめない人です、瀬伊。
友人:ムギムギとの合言葉は「瀬伊放置」だったくらいです。
…このあと、目が覚めたむぎが自分が言い出した事を忘れて「ぎゃあああ」と叫び
それを聞きつけた麻生がくっついている二人を見て大騒ぎすると、なお良し。
そんな事ばかり考えてます。