気持ちが膨らむ魔法
金属同士が当たる音がどんどんテンポを落として、一段高くカシャンと鳴ったあとは音を消してしまった。 ……これでもずっとピアノを弾いてきたから、手首には自信があったんだけどな。 さっきから変化が無いように見えるボウルの中身は、動きを止めた事でゆっくりと姿を変えはじめている。 本当にこれが、いつも食べてるあのシフォンケーキになるわけ? 僕がお願いすると、すずはあっという間に用意してくれるのに。 本当に魔法をかけたみたいに、あっという間に。 僕なんて、もう永遠に続けている気すらするのに、ちっともそれっぽくならない。 パタパタとスリッパの音を響かせて、次々と材料を揃えているすずの後ろ姿を目で追いながら、言い出したことをちょっと後悔していた。 「んっ、これでオッケー」 すずがスケールに乗せたボウルを持ち上げると、風に巻き起こって白い粉がふわっと舞った。 太陽の光を浴びて動き回る姿が、薄ぼんやりとした靄の中に浮かぶ。 一瞬の幻想的な光景が時をとめて、写真で撮ったように目に焼きついた。 すずが大切にしている二人のアルバムに、その光景も残せたらいいのに。 でも頭の中のアルバムには残せるよね。 瞬きをしただけで消えてしまった姿を思い出しながら、また動きまわっているすずに声をかけた。 「ねぇ」 一声だけで、何を言おうとしているのか解ったというように、笑いながらすずが振り向く。 「だから、瀬伊くんは大人しく待っててって言ったのに」 「こんなに面倒だなんて、知らなかったんだもん」 手にしたボウルを恨めしげに見下ろすと、視界にすっと指が入ってきて中身をすくう。 「あと十分ぐらいかな、頑張って」 「えぇー」 抗議を無視して自分の作業に戻ろうとする手をつかんで、こぼれそうになっているメレンゲを口に含んだ。 「瀬伊くんっ」 「僕好みの甘さになってるか、確かめただけ」 やけどでもしたかのように指を押さえているすずに、にっこりと笑いかける。 いくら僕から言い出したとしてもさ、ずーっと泡立て続けて飽きちゃったんだもん。 これくらいのご褒美は貰わないとね。 もうっと頬を膨らませて背を向けるすずに、忍び笑いが追い討ちをかけた。 「イタズラばっかりしてるなら、もう作るのやめちゃうよ?」 「酷いなぁ……あーあ、かわいそうな僕。彼女からバレンタインプレゼント貰えないなんて」 背中が固まって、甘い香りが満ちているキッチンに沈黙が流れる。 テンポ六十でカウントをはじめると、きっちり五拍後にくるっとすずが振り向いた。 「瀬伊くんのリクエストで作ってるのに、邪魔ばかりするのがいけないのっ」 手にした泡だて器を倒れないようボウルへ預けて、子猫みたいに毛を逆立ててるすずに抱きつく。 「ごめんね、怒らないで?」 ふわっと揺れる毛先から、ココアのほろ苦い香りが漂ってきた。 すず自身の甘い匂いと合わさって、いろんな欲を刺激される。 そっと背中に腕を回し返されて、二人のすき間が限りなくゼロに近づいた。 「怒ってないよ」 からかって、機嫌をそこねて、謝って、仲直り。 そう、こんな事をもう一年以上くり返している。 お互いに本気で喧嘩してるわけじゃなくて、信頼があればこそのスキンシップ。 その証拠にすずはもう笑顔になって、僕を見上げてる。 「メレンゲはあたしがやるから、瀬伊くんは粉をふるうのをお願いできる?」 「はーい」 名残惜しい気持ちを抑えて体を離すと、それまでの場所を入れ替えてお互いの担当に取り掛かった。 カシャカシャとリズミカルな音がキッチンに響く。 “バレンタインデーにどんなのが欲しい?”って聞かれて、それじゃあとお願いしたシフォンケーキを作る音。 ふわふわしてて、甘くて、口にすると幸せになるそれは、まるですずそのもの。 幸せを膨らませるために奏でられている旋律は、どんな名曲よりも僕に響く。 自分でも驚くほど浮いてる気持ちでとんとんと粉をふるうたびに、固まりが崩れて粉雪の山ができていった。 真っ白でさらさらしているそれが、どうしたらあの雲みたいにふわふわした食べ物になるのか、よくわからないけど……すずがかける魔法は失敗した事がないから。 ふっと顔を上げて、まっすぐ僕を見たすずがくすくすと軽やかな笑い声をあげた。 「ご機嫌だね、瀬伊くん」 「そりゃあね」 すずが僕のワガママを聞いて、僕だけのために用意してくれてるんだから。 無意識にハミングしちゃったって、仕方ないじゃない。 「あ、そっち終わった?」 「うん、これでいい?」 質問に質問で返して、専属パティシエのチェックを受ける。 「ダマは……ないし、うん、これで大丈夫。ありがと」 すずの頭の中では美味しいケーキのための答えが出ているみたい。 「あとはちょっとコツがいるから、あたしがやるね」 本を見なくても淀みなく動く手が、次々と材料を混ぜ合わせている。 「シフォンケーキは、このメレンゲが大事なの」 「ふぅん」 「うまく膨らむかどうか、この出来で決まっちゃうんだよ」 何回も作ってもらってるのに、そんなことも知らなかった。 頼めば快く引き受けてくれるから……甘えちゃってたんだ。 ボウルから掬ったメレンゲを、少しずつ混ぜているすずの顔に視線が釘付けになる。 真剣そのものに見つめて、壊れ物を扱うように優しく優しく、それでも素早く腕を動かしている。 僕のため、なのに……ボウルの中身に嫉妬しちゃいそうだ。 「あとは、焼くだけ」 型をオーブンに入れて、振り向いたすずを思わず抱きしめた。 「瀬伊くん?」 「焼きあがるまで何もする事ないよね? じゃあ、僕が独占してもいーい?」 「で、でもっ使った道具を洗ったりしなきゃ」 「だーめ、もう決めたんだ。洗い物なら食べたあとでもいいじゃない」 ね? と首を傾げれば断れないのを知っていて微笑みかけると、案の定、少しだけ困った顔で笑ってから腕を回し返された。 「選曲はおまかせでいい?」 「うん。あたしクラシックとか、よくわかんないし」 「ピアニストの彼氏がいるのに……」 おもわず呟きながらCDを乗せると、静かに吸い込まれていって、やがて色彩豊かな音色が流れ始めた。 陽だまりに包まれているソファーに座ったすずの隣に戻ると、おもむろに膝へ頭を預けて目を閉じる。 なにをするわけでもなく、ただこうして音楽とすずに浸っている時間が、癖になるくらい大好きだ。 冷たい風をさえぎって、冬の柔らかな日差しだけを受け入れて、見えない音符が輝くなかですずを感じている……こんな贅沢で優しい時間を手放せるわけないよね。 「瀬伊くん猫みたい」 僕が猫なら、繰り返し何度も髪をすく指に、きっと喉を鳴らしてる。 「うーん、すずの膝枕きもちいい」 目を閉じたまま、うっとりと指の流れを堪能する僕に、笑い声が降ってきた。 「焼きあがるまで後四十分くらいかかるから、それまでこうしてようか?」 「お願い」 断るはずがない提案に短く返事をして、すずの顔に手を伸ばす。 ぴくっと指先が震えて、梳く動きが止まった。 「すずの体、凄く甘い匂いしてる」 「……瀬伊くんも」 「あと四十分も我慢できない」 「焼きあがっても、それから冷まさなきゃいけないから、食べられるようになるのはもっと時間かかるよ? ほんとは一晩おいた方がいいんだけど」 「僕が一緒に作りたいって我がまま言ったから、仕方ないね……ねぇ」 頬に添えていた手の平を、すっとうなじに移動した。 首筋を撫でてから軽く力を入れて、きょとんとした顔で固まるすずに笑いかける。 「待ちきれないから……甘いの少し頂戴」 「え?」 「すずから、キスして」 「えぇ!?」 「シフォンケーキは僕も手伝ったんだから、バレンタインのプレゼントは半分ってことでしょ?」 「それは……っ、瀬伊くんが自分から言い出したんじゃない」 「そうだっけ」 ほんの少し前の言葉をあっさり覆して、引き寄せる腕に力を込める。 反射的に強張る首筋に、もう片方の腕も回して絡め取った。 垂れてくる髪にキスを一つして期待しながら見つめていると、音を立てそうな勢いですずの顔が赤くなっていく。 「ふふっ、かーわいい」 「からかわないでよ」 「んー? からかってないよ。キス、待ってるんだけどな」 うっと言葉を詰まらせて、さらに顔が赤くなる。 「はーやーく」 そんなすずがかわいくて、ウキウキする声で催促しちゃう。 シフォンケーキが焼きあがっていく甘い匂いが、少しずつキッチンから溢れてくる。 コンポからはドビュッシーの技巧曲が進んで、弾ける音符が次々に飛び出してくる。 そんな中で、固まるすずを見上げながら、甘いプレゼントを待ちわびた。 それも幸せな時間。 「……目を」 引き結ばれていたすずの唇が一瞬だけ震えて、やがてゆっくりと動き出した。 「閉じててくれる?」 音量を絞ったBGMにも溶けるんじゃないかってくらい、小さな声だったけど僕の耳には大きく響いた。 それすら言うのに、一生分の勇気を使い果たしたという顔が、僕に落とす影を徐々に大きくしてきてる。 それで我慢してあげようかな? 数センチ手前で止まった先を促すように目を閉じる。 息が詰まるくらいの期待で、どうにかなりそうだと思った瞬間に、そっと柔らかくて温かい唇が触れた。 甘くて甘くて癖になるキス。 付き合ってから、もう何度もしているのに……きっと一生飽きることがない蜜の味。 離れようとする首を強く抱きしめて、もっとと味を探り続ける。 「んっ、ま……待って」 「やだ」 唇を触れ合わせながらの会話も、中断させられる気分になって面白くないな。 「ちが……背中が」 「あ、そっか」 僕にキスをプレゼントするために、膝枕をしながら前かがみになるという、不自然な体勢にすずがギブアップを告げた。 「ごめんね、つい夢中になっちゃった」 体を起こすと、背中を押さえているすずの手に、自分の手をかさねてソファーに閉じ込める。 「これなら痛くならないよね」 「え……あっ」 少しのつもりだったけど、さ。 一度、口にしたら止まらなくなるって、ほんとはわかってた。 強くなるココアの香りに包まれながら、すずの甘さを何度も堪能する。 「瀬伊く……っ、ダメ、待って」 「待たない」 「だって、シフォンケーキ」 「……一晩おいた方が、いいんでしょ?」 一秒でも離れていたくない。 僕にそんな気持ちにさせたのは、すずなんだから……ちゃんと責任とってよ。 すずの魔法がケーキを膨らませている間、もう一つかけられた魔法、好きで好きで仕方なくなる魔法に喜んで身をゆだねた。 「……しぼんじゃった」 ミトンをはめなくても大丈夫な温度か、指でつついて確かめたすずが悲しそうな声を出した。 「ひっくり返しておかなきゃいけなかったのに」 「そうなの?」 すずが手にしている、失敗したらしいシフォンケーキを覗き込むと、二重丸みたいな型の中でいびつに波立っている表面からいい匂いが漂ってきた。 「おいしそうじゃない、早く食べたいな。一日遅れのバレンタインプレセント」 「んもう、誰のせいだと……」 思い出したのか頬を染めるすずが愛らしくて、くすくす笑ってしまう。 朝日を浴びて立っているすずの表情は見えなくても、染まった頬が膨らんでいるのがわかるから、笑いが止まらなくなっていく。 「もうっ! 笑い事じゃないよ。去年は売ってるのしか用意できなかったから、今年は瀬伊くんのために手作りで完璧なのをって思ってたのに」 ふいっと顔をそむける仕草は、まるで猫みたい。 「ごめんごめん。機嫌なおして、ね?」 拗ねる背中に抱きついて、首筋に残るキスの跡にそっと唇を寄せた。 すずの揺れる毛先が鼻先をくすぐって、喉の奥から堪えたはずの笑いがまた溢れ出す。 「しょうがないなぁ、瀬伊くんってば」 からかって、機嫌をそこねて、謝って、仲直り。 恋人になってから二回目のバレンタインデーも、同じ事を繰り返してる。 まるで儀式みたいな、そのふれ合いがあればプレゼントの中身なんて関係ないのに。 僕はもう、すずっていう最高のプレゼントを貰ってるんだから。 両手で型を持っているのをいい事に、拒めない頬に音を立ててキスをした。 「瀬伊くんっ」 「なぁに」 「切り分けるから、椅子に座って待ってて」 いくら言葉を強くしても、嬉しそうに緩む頬が気持ちを何より語ってるのに、すずったら面白いの。 しぶしぶ腕を解いて、指示された椅子じゃなくカウンターに寄り掛かって見ていると、型にナイフを差し込んでぐるりと回す、すずの手元に魅入った。 「あーあ……どうしよう、しぼんじゃったとこ切っちゃった方がいいかな……」 そんなことしたら口に出来るの半分になっちゃうじゃないか。 味は変わらないのに、すずのいう“完璧”の基準はおそろしく高いんだから。 「あ、ねぇ」 「なにー」 どうしたらいいのか途方にくれているすずが、生返事を返す。 「その生クリームって添えるつもりだった?」 「……うん」 皿に移した波打つシフォンケーキを、いろんな角度から眺めていた視線が、ふと傍のボウルに投げかけられた。 「それで覆っちゃえばいいんじゃない?」 「そっか、それいいね! さすが瀬伊くん」 何が“さすが”なのかわかんないけど、満面の笑みを浮かべて振り向いたすずは、どんな時よりも嬉しそうで食べちゃいたいくらい可愛らしい。 昨日、その気持ちを行動に移しちゃったせいで、いま悩んでいるすずにお詫びを込めた提案は、どうやら気に入ってもらえたみたい。 「だったら……あったあった」 鼻歌を歌いながら、僕よりも中身を把握している冷蔵庫を開け、苺を取り出して刻み始める。 鮮やかな魔法は、あっという間に純白のクリームと目に映える赤で、薄いブラウンのシフォンケーキを飾り立てていった。 すずがご機嫌なようを目にして、ようやく安心してキッチンから離れると、最初の予定通り椅子で待つ。 「できたよっ」 弾む声がケーキを連れてやってくる。 「はい、バレンタインプレゼント」 「ふふっ、ありがと」 口に入れる前から、差し出された贈り物が最高の味だってわかってる。 すずが僕のために魔法をかけたんだから、美味しくない筈がない。 あとは確かめるだけ。 僕をにこにこと見つめるすずに、また気持ちが膨らむ魔法をかけられちゃった……。 そんな事を思いながら柔らかなケーキにフォークを差し込んだ。 |
あとがき
ゲーム&コミックの印象が強くて、瀬伊=シフォンケーキ
すずの手作りなら、美味しいに決まってるだろうなぁ
食べてみたいなぁ
途中むにゃむにゃなシーンがありますが
二人がナニをしていたのか・・・
あくまでもCERO12ってことでご了承ください(笑)
ナニはともあれ
スイート・バレンタイン!瀬伊&むぎ