今日、ふたり屋上で
よりによって四時間目の授業が、いつも数分オーバーすると生徒の間で不評の先生だなんてついてない。 あと一分でチャイムが鳴るというのに、カツカツと小気味いい音をたてながら上機嫌で黒板に公式を書き込む先生の手は、いつもと同じでさっきから止まる気配がなかった。 先輩のクラスはもう終わっただろうか。 できるなら、そう待たせたくはないのだけど。 あれだけ期待しててほしいと大見得を切った手前もあるし、単純に、早く会いたいというせいもある。 机のわきに掛けたバッグに入っている二人分のお弁当を覗き込んで、朝の騒動に想いを馳せた。 美鶴ちゃんのアドバイスもあったし、味見して貰って太鼓判も押された。 いつもの自分用のお弁当より、かなり時間をかけた甲斐がある出来だと思う。 早く食べて欲しいな。 蓋を開けて、真弘先輩がどんな顔をするのか、すごく楽しみ。 ……喜んでくれるかな? そうだと、いいけど。 あと数分で分かる結果にドキドキしながら顔をあげようとしたそのとき、やっと待ち望んでいたチャイムが頭上に降り注いだ。 ……のに、やっぱり先生は背中を向けたまま。 早く終われ、早く。 怨念にも似た期待を送っていると、少し離れたところで突っ伏していた背中がのそりと動いた。 「先生、もう授業時間、終わったっすよ」 「ん? おぉそうか」 ナイス拓磨! それを気に昼休みへとそわそわし出したクラスの雰囲気を読んでくれたのか、先生はチョークをおいて道具をまとめると、号令をかける。 「ありがとうございましたー」 今日ほど、こんなに気持ちを込めて礼をしたことはない。 礼と言えば……。 きっかけを作ってくれた拓磨に顔を向けると、視線に気がついた拓磨がひらひらと手をふった。 「ほれ、早く屋上に行って来い。真弘先輩のこった、今にも飛んできそうな勢いで待ってるだろうから」 「うん、ありがとう拓磨! ……って、拓磨は屋上に来ないの?」 「……行けるか馬鹿」 「えっ? なんか言った?」 「なんでもねぇよ。今日は……あーなんか忙しいから俺はパスだ、パス」 拓磨、きょう早弁してたっけ? してても、いつもは屋上で皆と一緒にお昼休みを過ごすのに……。 不思議に首を傾げても、拓磨はめんどくさそうに顔をしかめるばかりで、再びひらひらと手を振った。 「ほら、早く行け」 「あ、うん……。ほんとナイスタイミングだったよ、ありがとねっ」 朝からそわそわしてたピークに達したせいで、四時間目はろくに板書もしてないノートをしまって、肝心のバッグを胸に抱え込む。 中身が崩れないよう細心の注意を払いながら、あふれ出した生徒で渋滞気味の廊下を縫って屋上へと駆けた。 ◇◇ 「……あれ?」 いつものように屋上の扉を開けて、いつもの面々を探したのに、目の前にはがらんとした光景が広がるだけだった。 さらには期待をあざ笑うかのように、足元を風が吹きぬけていく。 「うそ、誰もいないの? 真弘先輩!?」 「ここだ」 待ってくれているとばかり思っていた人の名を泣きそうな気持ちで呼ぶと、頭上から声が降って来た。 声のした方を仰ぎ見ると、屋上のさらに一段高いところで影が動く。 「おっせーぞ」 先輩の背後から差し込む日の光がまぶしくて、眼を細めてもどんな表情をしているのか見えないけれど、声音から本格的に怒っているわけではないと察して、ふっと緊張が緩んだ。 「これでも急いで来たんです」 その理由を、ちょっと誇らしい気持ちで高く掲げる。 「約束どおり、先輩の分も作ってきましたよ。降りてきてくださーい」 真弘先輩のお気に入りの場所は、あたしには昇れないんだから。 すぐにでも降りてきてくれるのを期待して見上げていると、脚を投げ出していた先輩がにっと笑った気配がした。 あ、と声が漏れる。 まるではじめて真弘先輩と顔を合わせたときの再現みたい。 あのときは、こうなるなんて想像もしていなかったけれど。 どうして一段高いところに居ることが出来るのか、なんて理由もわからなかったけれど。 だって、それまではごく普通の人生で、ありきたりだけど平和な毎日を過ごしてたから、まさか風を操って……なんて考え付きもしなかったのだ。 風……と意識したせいか、ふっと脚を撫でる風が強くなった気がした瞬間、ふわりと体が持ち上げられて、気がつけば目の前に今は誰よりも大切で誰よりも大好きになった人が、居た。 「先輩……守護者の力を軽々しく使っちゃダメですよ」 「細かいこと言ってんな、誰にもバレちゃいねぇよ。この俺が、んなヘマするか」 「そういう問題じゃありませんっ」 「気にすんな玉依姫。今日の俺様は機嫌いいんだ。特別におまえも招待してやってんだから光栄に思え」 いい景色だろと、胸を張る先輩につられて辺りを見渡す。 学校中の喧騒もここまでは届いてなくて、広がる山々と点々と建つ町並み、収穫間近の田畑の中に二人っきりな錯覚を覚えた。 頭を垂れた稲穂の海を、風が静かに渡っていく。 すぐ目の前には、気持ち良さそうに風を愛でる先輩が居て、他に何を平和といえばいいのか疑問に思うほど、どこまでも平和で幸せだった。 それもこれも、全ては真弘先輩が傍にいるから? 言葉にしたわけじゃないのに、振り向いた先輩と自然と視線が絡み合う。 なんとなく沈黙が気恥ずかしくなって、膝の上に置いたままだった今日この時間の意味を、ずいと差し出した。 「お待たせしました。……まさか、待ってる間に焼きそばパン食べたりしてないですよね」 「馬鹿か、おまえ。食ってねぇからこんなに腹減ってんだろ。ったく、待たせやがって」 「だからっ、それは授業が長引いて仕方なかったんです。拓磨が先生に声をかけなきゃ、きっと今も続いてたんですから」 「まぁ、そういう事なら? しゃーねぇな。拓磨もたまには気をきかせるじゃねぇか」 照れくささに軽口を叩いて、あれ? と気がつく。 「拓磨は今日、ここに来ないって言ってましたけど……。祐一先輩や慎司くんとか、遼……はまたサボり確定として、とにかく他の皆はどうしたんですか? 真弘先輩、知りません?」 いつも、よほどのことがなければ、自然と屋上に集まっていたのだ。 なにも聞いていないのに、皆が来ないというのは初めてで、余計に二人きりなのを意識してしまって落ち着かない。 「慎司はしらねぇけど、祐一なら図書室に用があるって言ってたぜ」 「じゃあ、本当に……」 ……二人っきり。 誰もいない、屋上に、二人っきり。 ど、どうしよう。 そうだ、そうだよ、とにかくお弁当だってば。 とたんにうるさく鳴り出した動悸を誤魔化すよう、慌しく包みを開いて、無言で先輩を促す。 なぜか先輩も少しぎくしゃくとした動きで、お弁当箱を開きだした。 「えっと、どうでしょうか?」 緊張のせいで、妙にかしこまった言葉で反応を伺ってしまう。 美鶴ちゃんと一緒に買い物をして、いっぱいアドバイス貰ったんだもん、まず見た目でガッカリってことはないと思うんだけど。 というか、実はかなりの自信作で……。 蓋をもったまま、なんの反応も示さない先輩にちらっと視線を向けると、顔をあげた先輩はにっと笑ってくれた。 それだけであたしは凄く嬉しくて、ほっとする。 ほっとしたのもつかの間、ぱたんとお弁当箱を閉じて脇へどけた先輩が、何も言わずに手を伸ばしてきて鼓動はとうとう最高潮に達した。 だってここ、学校! そんな、こんな場所で、って嫌なわけじゃないけど、真弘先輩……本気で? 「……おまえの中身も見せやがれ」 「え……?」 戸惑いから変化した期待が胸を覆い、おもわずギュッと眼を瞑った私に、意外なセリフが返ってきた。 「いいから! おまえのは……ほぅ俺と違うのか……そうか、そういうことか。珠紀、おまえは俺をそういう風に見てたんだな」 「え、えぇっ!? な、なにがです」 なんで真弘先輩、いきなり機嫌悪くなっちゃったの!? そういう風に、ってどういう意味? 精一杯、一生懸命作ったのに……なにがいけなかったんだろう。 美鶴ちゃんの料理を見慣れて、食べなれてるから、私のお弁当じゃ満足できないのかな。 屋上に先輩が居ないと早とちりした時よりも、一気に泣きそうな気分になる。 「気に入らなかった、ですか?」 なんでこんなに声が震えてしまうんだろう。 鬼切丸の封印が解けようとしてたときより、こんなに体まで震えてしまうなんて。 「あ、の……先輩? 私なりに頑張ったのは、本当なんです。そのグラタンも、冷凍食品じゃないんですよ? ハンバーグは豆腐入りで今流行のヘルシー風にして、あ、それだとご飯があっさりしすぎかと思って、じゃこを混ぜてあるん……で、す」 説明すれば、まだ褒めてもらえるかもしれない……なんて、浅ましい気持ちが口をついて出るのと対照的に、真弘先輩は無言のまま。 最後まで中身の説明をし終えてしまうと、何も音がなくなってしまった。 そんなに、言葉も出ないほど、不満? 「なにがダメか、教えてくださいっ。私、次は絶対に先輩が満足するお弁当つくりますからっ」 ガッカリされたまんまなんて、ヤダ。 意を決して顔をあげると、そっぽを向いている先輩の正面に回りこむ。 「なにって、おまえ」 どんな言葉でも、ちゃんと受け止めるっ! 「全部、カルシウムたっぷりじゃねぇか!!」 「はい?」 気持ちに喝を入れて次のセリフを待ち受けている耳に飛び込んだ、予想外の返事に口がぽかんと開いた。 「おまえなぁ、これ食って伸ばせってか? 実は不満に思ってたのか? そーかそーかそれは悪かったなぁ」 「ち、違いますっ、誤解ですってば。たまたま偶然そうなっただけで、他意はありません!」 「だったら! なんでおまえの中身と違うんだ? 説明できるもんならしてみやがれ」 ほんとに誤解なのに。 「それはっ、その」 「……っ、ほらみろ」 「ちゃんと理由が……っ」 「うるせぇっ」 理由があって、と……いう言葉は最後まで口にできなかった。 気がつけばすぐ前に先輩の顔があって、眼を閉じる暇もなかった代わりに黒髪で視界をふさがれる。 無造作に伸びるがままにまかせてるから、少し前髪が長めなんだよね、なんてぼんやりと思って。 まさしく鴉の濡れ羽色、だなんてしみじみ実感する。 唇が温かいと感じたのはその後で、言葉を発しようと開いていた無防備さを絡め取られる。 ……覚醒した時の先輩の羽も綺麗だったな。 あったかくて柔らかくて、先輩の唇と、同じ……。 「っ……ん」 息苦しさに喘ぐ、まさにそのタイミングで解放された唇を秋風が撫でて、ひんやりとした感触が濡れている事を、その理由を、強く意識させてきた。 「どーだ。今のまんまでも、なんの問題もねぇだろ」 屋上のてっぺんで同じ目線で不敵に笑う先輩に、こくこくと頷き返す。 それはお互い座ってるから、というのはこの際どうでもいい。 こんな不意打ちされたら、立ってられなかったと思う、から。 はあはあと肩で息をしながら、胸がいっぱいで今日はお弁当食べれそうにないな……って、思う。 先輩に食べてもらうんだからと味見を繰り返していたら、自分の分が足りなくなって適当に埋めた中身だから、いいけど。 先輩が知りたがってた理由を説明できそうにもないけど、唇の端をぬぐって満足げにしている真弘先輩を見てたら、それもこの際どうでもいいかななんて考えた。 |
あとがき
その頃、他の守護者は
「勘弁しろよ、これ以上真弘先輩の機嫌が悪くなって、とばっちり受けんの俺だぜ?」
「頼みますよ、珠紀先輩」
「……zzz」
だといいな、なんて感じ。
そして、シリーズを重ねるごとに珠紀ラブ度が強くなってる、意外と腹黒っ子の美鶴ちゃんは
「ふふ……あの中身で思い知るがいいですわ。珠紀様は渡しません!」
なんてガッツポーズをしてたらいいな。