彼女が知る事実と、知らない現実
「……は?」 「えっ」 春爛漫の屋上が一気に凍りついたように冷え、固まっていくのを阻止しようとしたわけじゃないが、思わず短い否定の言葉が口をついて出た。 慎司も同じ気持ちなのだろう、こちらは少し控えめな驚きを口にして、目だけが驚愕で見開かれている。 「悪い、珠紀……もう一度、言ってくれるか?」 聞き間違いって事もある、そうだそうに違いない。 キリッと痛みが走った頭を押さえて、強張る唇を引きつらせながら問い返すと、不思議そうに珠紀が首を傾げる。 「だから、真弘先輩は優しいよね、って言ったの」 優しい、と、真弘先輩。 真弘先輩、と、優しい。 再び、昼下がりの屋上が氷に包まれる。 相容れない、むしろ対義語といってもいい組み合わせを平然と言い放って、当の本人は再び満足げに髪をなびかせた。 「んー……風が気持ちいい。これぞ春って感じだね。あーあ、真弘先輩たちがここに居ればいいのに。先輩たちのいない屋上って静かすぎるよね」 「卒業したんだからそりゃ無理だろ……って、ちょ、ちょっと待て」 「なにー?」 水をさされて戸惑いと不愉快で眉根を寄せた珠紀は、髪を手櫛で整えつつ振り向くと、俺と慎司を交互に見やった。 「おまえ、俺達が真弘先輩にどんな扱い受けてたのか、見てたよな? 見てて尚そう思うのか?」 「あの、珠紀先輩? できれば、その、僕も参考までにお訊きしたいんですけど」 「えーーー?」 えーーーと言いたいのは俺の方だ。 真弘先輩といえば、なんかあれば理不尽な怒りをぶつけてくるし、その体に反比例した態度のデカさ……これは口が裂けても本人にゃ言えないが、……まぁ、とにかくいろいろとクセがある人だ。 ガキの頃から、その性格はあまり変わってない。 俺が身長を追い越した年なんて、わざわざ一学年下の俺のクラスに来てまで、なにも言う前からうるせぇだの殴らせろだの……。 慎司が修行に出てからは、唯一年下の俺がほぼ一身に理不尽さを引き受けてきたんだ。 いざという時、絶対の信頼はおいてるが、普段の態度が態度だぞ。 なのに、優しい? 「だって、女だけの家じゃ無用心だからって、毎晩うちに顔を出してくれるんだよ?」 「それは……たぶん美鶴ちゃんの料理が目当てじゃ」 物静かな分、人心を読むのに長けた慎司がぼそっと呟くまでもなく、俺の脳裏にも同じ理由が浮かぶ。 珠紀が村に来て、守護者が宇賀谷家に集まる機会が増えてから、なにかと理由をつけては美鶴の飯をご相伴に預かって、鍋ともなれば奉行として君臨していた。 無用心って……、村の中で宇賀谷家といえばある種の禁忌で聖域みたいなもんだから、なにか不届きな事をしようなんて考える人間はいないだろ。 むしろ、一応、珠紀と付き合ってる真弘先輩イコール年頃の男が、一つ屋根の下にいることの方が不届きなような……。 「それに、ね」 聴こえていないのか、あえて無視しているのか、珠紀はどこか夢見心地の顔で続けて口を開く。 「一緒にやった方が効率いいんだって、勉強もみてくれるし」 「真弘先輩……みられるんでしょうか」 「それはさすがに口に出しちゃいけないだろ、慎司」 「でもっ」 「まぁなぁ、気持ちはわかるが」 確かに、卒業間近のころ、誇らしげに掲げられた模試の結果は俺たちも驚く程かなり成績が上がってて、これなら大丈夫だろうと皆思ってたから、結果には驚いた。 本人があっけらかんとしてるから、腫れ物に触るような扱いはしてないが、さすがにショックだったろう。 そのへんのフォローはタメの祐一先輩と、彼女の珠紀がしてるんだろうが。 にしても、真弘先輩が自ら進んで勉強? 口実としか思えないんだけどよ。 なんの、って……、そりゃ、真弘先輩も男だから? 惚れた女の傍にいたいとか、そういう……。 傍にいればどうなるかなんて、想像したくもないのに、好奇心旺盛な思春期はやたらとリアルな光景を……。 「拓磨先輩、ココ。しわ寄ってますよ」 声と同時に慎司が自らの眉間をトンと叩くと、目の前に浮かんでいた光景が霧散した。 気遣わしげな慎司に目を向けると、慎司だって微妙にしわを寄せている。 「めずらしいな、おまえがそういう顔するのって」 「そういうって、どういうですかっ! べ、別に僕は珠紀先輩にそういう気持ちとか、そ、そんな」 「あー……なんかカワイイなぁ慎司は」 「なっ、なんですか、それっ」 隠そうとしても滲み出たりする辺り、基本的に好意を素直に態度へ出せる慎司に感嘆したのに、憤慨した慎司は声を荒げてからハッとした顔で珠紀の方を見た。 どんだけ声を大にしてしゃべっていたとしても大丈夫だろうと思うほど、珠紀は自分の世界に入り込んでいるが。 「あ、そうそう」 「まだあんのかよ」 これだけ慎司とツッコんでるのに、おかまいなしといった風情の珠紀は、まだ何かを言おうとして口を開いたと思ったら、ふいに両手で顔を覆ってしまった。 「珠紀先輩?」 「お、おい。どうした」 あまりの急変に具合でも悪くなったと心配して、とっさに二人で腰を浮かす。 結界に異変があったとき、珠紀は頭が割れるように痛むと青い顔をして、脂汗をだらだらと零していた。 結界が破られるような事態はもう起こらないはず、けれど何か予期できない異変が起こった可能性だって……ないとは言い切れない。 染み付いた守護者のクセで、悪い方向にばかり考えが向かってしまいながらいつでも動けるよう身構えた体が、聞こえてきた声でぴたりと停止した。 「ふふ……えへへへ」 声の発生源は、覆われた珠紀の手の下。 「珠紀、せんぱ、い?」 「おい、おかしくなったか?」 「えへへ、やだもー」 「はい?」 「……おーい、かえってこーい」 少し、イヤな予感を抱きつつ、おそるおそる声をかける。 やっと顔をあげた珠紀は頬を染めて、満面の笑みを浮かべていた。 「真弘先輩ね、二人っきりになるともっと優しくなるんだよ。昨日はね、風が気持ちいい季節になったって私が言ったら、どうせ昼は屋上でたむろってんだろ? じゃあ昼休みあたりにいい風を吹かせてやる、とか、って……きゃー」 その瞬間、証明するかのように一陣の風が屋上を通り過ぎて、テレまくる珠紀の髪をなびかせた。 「は、はは……そう、ですか。真弘先輩って案外ロマンチストなんですね」 「そうなの! すっごく優しいの!」 呆れ混じりの慎司があえてつけた“案外”というセリフは、珠紀のなかで聴こえ無かったことになったらしい。 代わりに足元で強く渦巻いた風が、先輩の無言の監視に思えて、途方にくれた慎司と目が合ったとたんに乾いた笑いをするのが精一杯だ。 「でね、こないだなんて」 「ストップ、そこで止めといてくれ」 「もうチャイムなっちゃいますから。先輩方は次の時間、移動じゃないんですか!?」 「あ、そうだった」 ますます勢い込んだ珠紀が、さっきの想像みたいな出来事を具体的にする前に慌てて止めると、ふーっと長いため息が二箇所で響く。 苦笑いとしかめっ面を背にてきぱきと弁当箱を抱えた珠紀は、俺達の心中なんて知らず朗らかな態度で、急かしにかかる。 「ほら、遅れちゃうよ」 はいはいと物憂げに答えたが、内心ではいつ終わるとも知れない惚気話を、これ以上聞かされずに済んでほっとしていた。 屋上から校内へと戻るドアの前で、名残惜しげに顔を上向けると珠紀が髪をなびかせる。 ふわりと舞った姿を守るように慈しむように風が撫でていって、珠紀と、珠紀の話の中の真弘先輩が本当に思ええるほど、自然なタイミングだった。 「じゃあ、先輩たち。僕はここで」 「おぅ」 「じゃあね、慎司君。また明日」 廊下の角で別れながら、新たに知った先輩の一面と、それに気付いて嬉しそうにしているのがほんの数ヶ月前までは名も知らない少女だったことに、奇妙な安堵と落ち着きを感じながら廊下をついて行った。 |
あとがき
そろそろ拓磨&慎司ファンの方に呪われてもおかしくないよ猫百匹。
キャラ紹介No.1と年下キャラはいじり倒す傾向にある性(さが)が、ね。
どうしても珠紀に片思いする二人しか、思いついてくれないの!
しかも真弘と付き合ってる前提なのに、一切登場しないし。
もうね、趣味全開でほんとすいません!
珠紀には優しい真弘と、のろける珠紀が書きたかったダケなんですの。