明日、あなたと屋上で


「真弘先輩? そんなに見つめられてもあげませんよ」
「うっせーな。それじゃまるで俺が、お前の弁当を丸ごと奪おうと思ってるみてぇじゃねぇか」
「だって、そういう眼をしてました!」
「慎司ぃ? おまえ先輩様に向かってい〜い態度じゃねぇか、あぁ?」
「す、凄んだってダメですっ」
 のどかなのどかな昼休み、だったはずの時間は、慎司くんの悲痛な訴えで一変しようとしていた。
 少し高めのよく通る声に目を向ければ、持参の焼きそばパンをさっさと食べ終えたのか、今にも襲い掛からんとしてる顔つきで慎司くんのお弁当を覗き込んでる真弘先輩、と。
 まだ手をつけはじめたばかりの、彩り豊かなお弁当を死守しようとしている慎司くんの姿が目に入る。
「凄んだなんて人聞き悪ぃな。俺はちょーっと見せてもらってるだけで……おーおー、今日もうまそうだよなぁ」
「ありがとうござっ、あぁっ! ダメですってば」
「いいじゃねぇか、少しくらい」
 ひょいと伸びた先輩の手をさっとかわして、慎司くんが精一杯、眦を吊り上げる。
 一進一退の攻防、だけどいざとなったら慎司くんには言霊の力があるし……。
 真弘先輩の守護者の力は、先輩の性格よろしく少々派手で、学校で使うには不利だものね。
 秋風が心地いい屋上でのランチとは不釣合いな考えを、ごく当たり前のように結論付けて、割って入ろうかと止めていた箸を自分のお弁当にむけた。
 慎司くんのお弁当に比べたら多少見劣りはするけど、私のだって、そこそこいい線をいっていると思う。
 最近ようやく美鶴ちゃんのお許しが出て、やっと自分でお弁当を作れるようになったのだ。
 もともとお料理は好きだし、毎日のように美鶴ちゃんの手伝いをしていたから、ブランクがあるとはいえ満足の出来に仕上がっている。
 昨日の晩から仕込んでいた唐揚げを口に入れれば、じゅわっと肉汁が溢れて冷めていても十分に美味しい、と思う。
 バランスだって、彩りだって、十分だと思う。
 だけどそれを遥かに越える腕前を持つ人がいるからか、どことなく気後れがして、この数日、屋上の隅っこでこそこそと食べる羽目になっているだけで。
 美鶴ちゃんと慎司くんが凄すぎるだけ……と、卑屈な慰めを自分に言い聞かせても虚しい。
 零れそうになるため息を唐揚げと一緒に飲み込むと、移ってしまったのか、ちょうどいいタイミングでため息交じりに名前を呼ばれた。
「珠紀……、そろそろ慎司を救ってやれ」
「そういう拓磨がすればいいじゃない」
「俺じゃ意味ねぇんだよ、俺じゃ」
 はぁーと深く盛大になったため息が、なぜか私に向けられる。
 呆れとも労りともつかない奇妙な眼差しに軽い反発を覚えて、青々としたブロッコリーに箸を突き刺した。
「頼むよ。このままじゃ落ち着いて解けやしない。祐一先輩はとっくに眠っちまったし」
 四時間目がはじまる前に早々とお弁当をたいらげていた拓磨は、これみよがしにクロスワードパズルの雑誌を突きつけてから、未だ続く攻防に恨めしげな視線を向けている。
「どーせ、ほとんど解いてないじゃない。私はまだお昼ご飯の途中なんだから、邪魔だと思うなら自分ですればいいでしょ」
 こっちも見せ付けるように、卵焼きを頬張る。
「最速で最善の方法は、おまえが一言声をかけることなんだよ、わかんねぇか?」
「なによ、それ。自分は食べ終わってるからって、人に犠牲になれっていうの?」
「だから、犠牲……っつうか、あのな」
「なんと言われてもイ、ヤ、ですっ」
「食い意地張ってねぇで、俺の、いや先輩のためだと思って」
「ちょっと! 食い意地ってなによ、人聞きの悪い」
 聞き捨てならないセリフにとっさに声を荒げてから、自分のセリフが先輩そっくりだと気がついて慌てて口を噤んだ。
 傍にいるうちに、似てきたのかも。
 それはそれでどこか嬉しいけど、女の子としてはちょっとね……。
 金平牛蒡をざくざくと取って、もやもやした気持ちが溢れない内に口へ放り込む。
 別に食い意地を張っているわけじゃない。
 私には私の、別の意地があるんだから。
 拓磨には複雑な乙女心なんて分かんないんでしょ。
 それにどうせ真弘先輩は、私のお弁当なんか……。
「おい」
 沈み込む気持ちそのまま俯いていた視界に影がおちるのと、首筋に柔らかな風を感じたのは、そのときだった。
「拓磨てめ、誰の許可を得てこいつに絡んでんだ?」
 見上げると、いつの間に近くに来たのか、真弘先輩が私を守るように背後にいて。
 その後ろを、あからさまに助かったという顔で、そそくさとお弁当をしまった慎司くんが走っていく。
「絡むだなんて、んな事してねぇっすよ。礼を言われてもいいくらいなんすから」
「なに訳わからねぇこと言ってんだ?  俺はしっかり見たんだ! こいつが困った顔してだなぁ」
「その気遣いを、少しは慎司に向けてやってくださいよ」
 それは……確かに。
 つられて頷いた私に一瞥をくれると、拓磨は大仰な仕草で雑誌を閉じ、うまくやれよなんて謎の単語を残して去っていった。
「なんだ、あいつ。拓磨といい慎司といい、先輩様に対する態度がなってねぇんだよ」
 それは真弘先輩に問題があるんじゃ……。
 金平が口に残っていなかったら、先輩が怒り狂いそうなセリフが出ていたのは確実で、ほっとしながら飲み下す。
 迂闊なことを言わないよう、せっせと残りを口に運ぶと、急に静かになって屋上に渡る風の音が戻ってきた。
 どこからか運ばれてきた秋の匂いも、風の感触も、心地いいもののはずなのに妙に気詰まりなのは、その静けさ故。
 拓磨のいた席にどっかと腰を降ろした先輩は、さっきまでの騒動が嘘のように、ただ黙って憮然と頬杖をついている。
 私の方にはちらとも視線をくれない。
 慎司くんにはあんなに絡んでいたのに、私のお弁当には見向きもしないってわけ!?
 手を出す価値もないってわけ!?
 前は……あんなに……。
 そりゃあ何処の料亭ですかってくらい整った慎司くんのお弁当とは、比べ物にならないかもしれないけど、まるっきり目に入らないなんて態度あんまりじゃない。
「お昼、足りなかったんじゃないんですか」
「んぁ?」
 落差のある態度に、しまっておくつもりだった気持ちがつい溢れた。
「ですから、おなか空いてるんじゃなかったんですか」
「……別に」
「だったら何で慎司くんを脅してるんですかっ」
「おっ! 脅してなんかねぇぞ」
「いいえ、かわいそうに怯えてましたっ。大体、一個で足りなければ焼きそばパンをもっと買ってくるとか、すればいいじゃないですか」
「それじゃまるで、俺がてめぇの食欲も計算できねぇ馬鹿みてえだろ。焼きそばパンはなぁ、数が多けりゃいいってもんでもねぇんだよ」
「はいはい、真弘先輩は焼きそばパン大好きですものね。焼きそばパンについてはこだわりがあるんですものね」
「ひっかかる物言いすんなよ。言いたいことあんならハッキリ言いやがれ」
「別に」
「なっ……なんだぁその態度っ」
「それはこっちのセリフですっ。真弘先輩ひどい」
「お、おいっ、なんでそこで俺が責められるんだよ! 」
「だって……だって! 焼きそばパンは仕方ないにしても、慎司くんのお弁当はあんなにねだるのに、私にはそんなこと一度も言ってくれたことないじゃないですかっ!」
「おま……それって」
「……っ!」
 売り言葉に買い言葉を後悔しても遅かった。
 恥ずかしくて絶対に知られたくなかった本音がばれてしまった。
 ねだって貰えないことが悲しくて、見向きもされないことが寂しくて、なんて……。
 身を乗り出したまま目を丸くしてる先輩の顔を見ていられなくて、ほとんど空になったお弁当に蓋をして、のそのそと包みしまう。
 沈黙に耐えかねて包みの結び目をいじっていると、やがてぼそぼそと小さな呟きが耳に入ってきた。
「おまえこそ、一度も作ってくれるなんて言わなかったじゃねぇか」
「作ったら、食べてくれたんですか」
「たりめーだろ」
「でも、前に……私の作ったお弁当つまんだとき、美鶴ちゃんの方が美味しいって、散々けなしたじゃない」
 つい昨日のように光景が蘇ってくる。
 この村に来て、この場所でみんなとお弁当を食べるようになって、まだ日も浅い頃。
 さっきの慎司くんみたいにひょいとお弁当をつままれて、なんとなく嬉しかったのに、返ってきた言葉で打ちのめされたのだ。
 女の子としてのプライドもあったけど、嬉しかった反動のせいもある。
 そして、もう絶対にこの人には手料理を食べさせないと意地になった。
 私にだって自尊心くらいはあるわけで。
 比べられると分かってるのに、自分から勧めるなんて出来るわけないじゃない。
「いつの話だよ。んな昔のことほじくり返すなって。それに……よ」
「それに?」
「それは……その、こうなる前だったからだろ」
「こうなるって?」
 先輩が次になにを言うのか、読めないのに期待ばかり浮かんでしまって、同じ言葉に疑問符をつけて繰り返す。
「だからだな……」
 少しの沈黙のあと、さらに小さくなった声が、そっと耳に届いた。
「おまえを、その……好きになる前ってことだよ」 
 消え入りそうな声なのに、そのセリフは風に乗って耳に直接注がれるみたいに甘く響いた。
 滅多に気持ちを言葉にしてくれない分、その威力は絶大で、一気に熱が頬に集まってくるのを感じる。
 再びやってきた沈黙は気詰まりなんかじゃなくて、こそばゆいほどの幸せをはらんでいた。
「……明日から、先輩の分も作ってきますね」
「おぅ」
「……慎司くんや美鶴ちゃんには敵わないけど、精一杯頑張ります、から。文句言いっこなしですよ」
「言わねぇよ。おまえ何か勘違いしてるみてぇだけどな、さっきのも別に慎司の弁当が欲しかったわけじゃねぇぞ」
「えっ?」
 とっさに顔をあげると、おもしろくなさそうな表情なのに真っ赤な顔をした先輩が、頑なに視線を合わそうとしないまま言葉を繋ぐ。
「手作り弁当って……。おまえの作った弁当って、どんな味すんのかって考えてただけで……おいっなに笑ってんだ!」
「笑ってなんか、ないですよ」
「その顔が笑ってなくて、なんだってんだ!」
 きっかけを作ったことなんてすっかり忘れている、そんなところが真弘先輩らしくて堪えているのに口元が緩んでしまう。
 イヤそうにしていた先輩も、とうとう吹き出して、なにか吹っ切れたように笑い出した。
 そして……。
「明日、楽しみにしてるぜ」
 笑いが治まった後、ふいに低くなった声のトーンに、とくんと心臓が跳ねる。
「はい」
 かろうじて、それだけ返事をすると、ゆっくりと傾く先輩の顔にあわせて目を閉じる。
 喉の鳴る音がやけに大きく感じてしまうくらい、過敏になった耳に……。
「盛り上がっているところ、悪いが」
 飛び込んできた声に、全身が水をかけられたように跳ねた。
 涼やかな顔で見下ろす祐一先輩に対して、椅子から転がり落ちそうな勢いでお互いに距離を取る。
 あわあわと動くだけで何もでない唇と、ぎくしゃくとしか動かない体が動揺の大きさを表しているのは、私も真弘先輩も同じだった。
 先に立ち直った真弘先輩が、これ以上ないほど背筋を伸ばして祐一先輩に詰め寄っていく。
「ゆ、祐一……おま、いつから」
「ずっと居た。おまえ達が忘れていただけだ。あれだけ自分達の世界に入っていれば、それも当然だろうが」
「言うなっ」
「そ、それはそうです、けどっ」
「気ぃ利かせるとこだろうがよっ!」
「利かせたから、声をかけた。もう予鈴が鳴ったぞ」
「えぇっ、やだ、次の授業あたりそうなのに」
 大げさに慌てたのは遅刻しそうな事にじゃなくて、本当は照れ隠しだったんだけど、それで雰囲気が一変した。
「真弘先輩、祐一先輩、わたし先に戻りますね」
「あぁ」
「慌てて走ってすっ転ぶんじゃねぇぞ」
「はいっ」
「おら、祐一も急げーーー!」
 真弘先輩の声が、いつもよりどことなく大きく感じるのも、きっと照れ隠しなんだろうな。
 キスシーンを見られなくて済んで良かったのに、それでもちょっと残念だったなんて思うと、意識は午後の授業を越えて明日のお昼時間に飛ぶ。
 お弁当、食べてくれるって。
 楽しみにしてるって!
 買い物して帰ろうと決めて、赤い頬を誤魔化すのに十分な程度に廊下を駆け抜けた。

あとがき

こんなに一度にまとめて“焼きそばパン”ってタイピングしたの、人生初だよ。
おなかが空いて困ったね。
いっそのこと“や”→変換→“焼きそばパン”って、単語登録しようかな。

という次の日。
焼きそばパンを自作しましたウマー。
気分は真弘先輩、えへ。