意外かつ効果的な牽制
「さきほどから、無口ですね。まだ、痛みますか?」 卓さんの気遣いに満ちた優しい声音に、顔を上げぬまま小さく頷いた。 わずかに衣擦れをたてるだけの返答に、卓さんの手から当惑した雰囲気が伝わってくる。 口もきけないほど痛むと思われたんじゃないかと考え直して、喉を一つ鳴らすとかさついた唇を無理やり動かした。 「平気、です」 だから、と続ける前に「それは良かった」と返されて、言うはずだった言葉は喉に戻っていく。 「しばらく安静にしていれば、すぐに良くなると先生も仰ってましたし。大事に至らなくて何よりでした」 「あ」 「学校から連絡をうけたときは、本当に驚きました。ちょうどババ様に用事があり宇賀谷家にお邪魔していたところで」 「あのっ」 「私が電話を取ったんですよ」 「すぐ」 「私と入れ違いに言蔵さんがお買い物に出た直後でしたから」 「すっ卓さんっ」 「はい、なんでしょう」 強めに名前を呼んで、ようやく卓さんは脚を止めてくれた。 いつもと変わりない穏やかな笑みで覗き込まれて、体温が一瞬で上昇する。 鼻の頭に浮かんだだろう汗に気付かれてなければいいけど……なんて、動揺していると注がれる視線がふわりと細められた。 ただでさえ整った顔立ちの卓さんにそんな顔をされたら、ますます体温があがってしまう。 しかもこの、文字通り目と鼻の先の距離で。 眼鏡で隠されてるけど外したら息を呑むくらい美人だから、間近で見てもなに一つ遜色ないんだな……。 一瞬見惚れて、そしてすぐに思い出した。 早くこの状況をなんとかしなくては、私の心臓がもたないかもしれない。 「あっ、あの! 卓さん、もうっ」 「大きな声を出すと、脚にひびきます。いけませんよ、捻挫を軽く考えては」 軽く考えているわけじゃない。 事実、ほんとうに軽いのだ。 体育の授業中、派手に転んだから大事を取って保健室で見てもらうよう言われただけで、保健の先生も湿布を貼って様子をみなさい、で終わりだった。 ただ……、どんなに軽くても授業中の怪我だから、お家の方には連絡しなくちゃいけないという大人の事情により、こういう事態になってしまったわけで。 まさか卓さんが迎えに来るなんて思わなかったし、まさか、その……こういう態度に……。 「早く横になって、湿布を取り替えましょう。ね?」 言いよどんでいる間に、駄々っ子をたしなめるよう優しく諭して、これで話は終わり、とばかりにまた歩き出されてしまった。 漠然と感じていた疑問が、その瞬間ほとんど確信に変わる。 「……卓さん、わざとやってますね」 「おや、どうしてそう思うのですか?」 ほとんど真横、いつもより近いところにある顔をわずかに見上げると、いつもと同じ柔和な笑みから遠まわしな肯定が返ってきた。 何を? とは、尋ねられなかった。 卓さんの性格を考えれば、これはもう肯定に違いない。 その理由もなんとなく心当たりがある。 「卓さんは、意味のないことはしません。これもなにか意図があってやってるんですよね」 「それは心外です。まるで私が、珠紀さんを困らせてでも、自分のもくろみを果たそうとしているみたいではないですか」 「困ってるって分かってるんじゃないですか!」 「お嫌ですか?」 はたと脚を止めた卓さんがほんの少し首をかしげると、黒髪がさらりと私の頬に落ちてきた。 その長さが頬から首すじへと流れ、ぞくりとしたものが背筋を伝う。 くすぐったいような、それでいて気持ちいいような、落ち着かない感触を振り払いたいのに自由にならない腕が邪魔をする。 いまこの腕を放してしまったら……。 それに、問い方がずるい。 嫌か嫌じゃないかと訊かれたら、とっさに浮かぶのは嫌じゃないという答えに決まっている。 嫌だと言ったら、卓さん自身を拒んでいると勘違いされてしまいそうで、言えない。 さっきから、ただ、恥ずかしいだけだから。 「……このままで、かまいませんね?」 「でも、重い……でしょう」 「あぁそれなら、術の応用でどうとでも。今度、教えてさしあげますね」 わずかに眉を寄せていた彼が、眼鏡の奥で一瞬嬉しそうに目を細めたのは気のせい……? 妙に上機嫌な顔で腕の位置を直した卓さんに、もう何も言い返せず、けっきょく横抱きに……つまりはお姫様抱っこという嬉しさより恥ずかしさが込み上げる恰好で運ばれ続けるはめになる。 背後の校舎から聞こえるどよめきで、明日から注目の的が決定した。 これって、やっぱりこないだの事を気にしてるんだろうな……。 卓さんがこういう行動に出た理由は、きっと、先週末の拓磨たちのせいだ。 自分の家ですればいいのに、わざわざみんなが集まってご飯を食べようって日にクロスワードの雑誌を持ってきた拓磨が、巻末の占いを見て私に水を向けた。 おまえの恋愛運、最悪だぞ……と。 卓さんと私は何かあっても大丈夫だと胸をはって言えるくらい、二人でいろんなものを乗り越えて強固な絆をつくってきたのに、その言い草についついムッとして、そういう拓磨はどうなんだと私は言い返した。 卓さんはお茶を淹れに席を外していたから聞かれなくて済んだけど、私の恋愛運が最悪ってことは、卓さんも否定されたみたいで聞き流せなかった。 そうしたら、俺はなぁと頭を掻きながら自分の星座を探した拓磨が、身近なところに相手がいるだってよ、と言い。 そのセリフに真弘先輩たちまでこぞって身を乗り出したものだから、一瞬で居間が喧騒に包まれた。 真弘先輩は今がチャンスかと唸っているし、祐一先輩は拓磨と一緒だと呟いたあと何か考え込んでるし、こういう事にのらなそうな慎司くんまで奪ってでもですかと物騒なことを言い出して、月こそ違うものの同じ星座の遼は思い通りにいかない期間だと拓磨に言われ喧嘩をはじめるし。 とても拓磨に文句を言う雰囲気ではなくなったから、その隙にそうっと雑誌を覗いたら、確かに恋愛運を示すハートマークはかろうじて一個色がついているだけだった。 私が最悪でも……そう気を取り直して、卓さんの、おとめ座を確認しようとした寸前で、居間にその本人の声が響いたのだ。 おやおや何の騒ぎですか、と。 子供をたしなめるよう見渡して、説明を求めるよう鬼崎くん? と名前を呼んだだけで妙に静まり返ったから私が代わりに答えたら……。 子供だましと馬鹿にすることなく、私の恋愛運はなんと書いてありますか? と付き合ってくれたから私は誇らしくて嬉しかった。 守護者のまとめ役で、一番の年長で、常に冷静さを失わない人だけど、こういう騒ぎをたしなめはするけど馬鹿にしない懐の広さがさすが卓さんだって。 しかも、卓さんの恋愛運は最高のハートマークが五個もついてて、その下には……意外な行動で一歩リードと続いていた。 一歩リードって、卓さんは年上でいつもリードしてくれるから、なんの疑問も抱かなかったけど……。 意外な行動……の方を卓さんが気にするなんて。 「卓さん、こないだの星座うらな」 「今日はいい天気ですね。数日はこの調子だそうですよ。雨が降っていなくて助かりました、傘があったらできないでしょう?」 自ら目立つ行動をする人じゃないのに、学校から抱いて歩くなんていうこれ以上ないほど目立つことをするのは、どう考えてもあの占いのせいだとしか思えなくて、聞こうとしたと同時に天気の話をされはじめる。 「傘がなくても、ここまでする必要は」 「あるんです。珠紀さんはなにも気にせずに。ほら、捻挫は負担をかけないのが一番の治療ですから、ね」 「片足で跳んでいけば」 「それで今度は、無事な方を怪我したらどうするんです」 「じゃあせめて肩を借りるくらいで」 「身長差がありますでしょう」 「うぅ……」 口で勝てるとは思ってもいないけど、どうにかして降ろしてもらう口実を作ろうと逡巡していると、ふっと顔に影がおりた。 「あっ、あのっ」 耳元に息がかかって狼狽する私とは対照的に、落ち着いた声が直接耳に注がれる。 「もう少し腕を……そう、もたれるようにしてくださいますか」 その言葉一つで、決して強要するわけじゃないのに、腕を振りほどいて降りられなくなってしまう。 なにを言っても、一度こうと決めたらやり遂げるんだから、このまま家まで降ろしてくれないつもりなんだろう。 高揚した頭じゃ卓さんの意図は分からないままだけど、思い通りにいかないって占いが、本当に当たっているとしみじみ思った。 |
あとがき
結構前に途中まで書いて放置してたのを発掘
緋色無印の卓ルートEDのスチルで思いついたはず……
大人気ない大人の大蛇さんがテーマだったけど
いくら男の人でも人一人抱えて学校→宇賀谷家までムリだろ、とか
耳元囁き系が好きなのバレバレ、とか
そりゃあの御声で囁かれたら腰砕けですけど、とか
いろいろ自分にツッコミ隊