壁の飛び越え方
ビリヤード台を前にうなりながら腕組みをしていた。 じれたジョージが後ろから文句を言ってくるが、あとちょっと、もう少しとかれこれ十分はこうしている。 ゲームは終盤。 あとは三つボールを落とせば終わり。 ただ手玉の位置が問題だった。 いろんな方向から狙ってみたけど、どうやってもファールになりそうな配置だ。 「アーサーキー。いい加減オレのセーフティは完璧だって認めてくれよ」 ジョージがゴミ箱にビンを投げ入れると、俺の右肩に手を置いた。 「嫌だね」 そういいながら肩を軽くあげて手を下ろせというサインを送る。 確かにジョージのセーフティは完璧だ。 俺だってあの状態だったら無理に狙ってファールになるよりも、こうやって相手のミスを待ってじっくりとナインボールを落としに……勝ちに行くだろう。 「どうしたんだよ、たかがワンゲームだろ?」 たかが、かもしれねぇけど俺はこのゲームに賭けていた。 「おしっ、決めた」 やっとかよという顔をしてジョージが自分のキューを取りにいく。 俺のファールで自分の出番がすぐにやって来ると思ってるんだろう。 甘いぜ。 ニヤッと笑うと店のカウンターの奥を顎で示した。 「ジャンプキュー借りるぜ」 「For real?」 「あ?」 「あ、あぁ、マジで?」 「マジ。あるんだろ? 持ってきてくれよ」 めったに使うもんじゃねぇから俺も持っていなかったけど、店のヤツらが閉店後に遊ぶ為に奥においてあるのは知っていた。 しぶしぶ持ってきたのを受け取ると、慎重に狙いを定めて構える。 「麻生。ダチだっていっても……ちゃんと修理代払ってもらうからね」 「まぁ見とけって」 的から視線を外さずに答える。 ミスったら台を覆う柔らかい布は簡単に破けてしまうだろう。 そもそも、それを防止するためにここはジャンプショットが禁止されていた。 クローズ間近の店内はほかに客がいなくて、店員のジョージが仕事をしないでゲームに付き合うような状態だからこそ、ルール違反に目をつぶってくれた訳だ。 難しいショットに迷いは禁物。 キューをほぼ垂直に掲げると、手玉めがけて一気に撞きおろした。 きれいな弧を描いて邪魔な玉を飛び越えていくのを、俺もジョージも息をつめて見守る。 台に着地した手玉は、意思をもっているかのようにまっすぐ向かっていった。 ───カッ 澄んだ音を響かせて茶色の玉が吸い込まれ、手玉は……ポケット手前できれいにストップした。 「よっしゃあ!」 ジョージと一緒になりゆきを見ていた他の店員からも賞賛の口笛があがる。 「マジかよ? やるじゃんアサキ!」 ガッツポーズで叫びたい気持ちを抑え、自分のキューを手にして残りのボールを片付けにいく。 ヤマを乗り越えてしまえば楽勝だった。 「急にきてワンゲーム付き合えっていうからどうしたのかと思ったけど、楽しいゲームだったよ。見事なジャンプショットも見れたしね」 「俺のほうこそサンキュな、ジョージ」 「んー? 何かウラがありそうだねー」 「あぁ、ちょっと願掛けっつーか、運試しっつーか」 眉をあげて続きを促されるが、口にするにはあまりにもガキくさい内容だった。 「ま、うまくいったら報告するよ」 「ふぅん。じゃあ、そうなる事を祈ってるよ」 返事の変わりに、手にしたヘルメットを軽く振ると外へ出る。 人通りが途絶えた町並みの中で、イルミネーションだけが張り切って存在を主張していた。 メリークリスマス……ねぇ。 どうなるかわかんねぇけど、今さら後に引けない気持ちをかかえたまま指を咥えているよりはマシだ。 アイツらは鈴原をどう思っているか口にはださねぇけど、普段の生活の中で同じ目線で過ごしていればイヤでも気がつく。 俺の気持ちもとっくにバレてるんだろうけど、お互い口には出さずにけん制しあって腹を探り合って、鈴原の行動から気持ちを汲み取ろうとバカみてぇに右往左往している。 気がついてねぇのは当の本人くらいだ。 クリスマスイブまであと……八日、いや日が変わったからあと一週間か。 もう覚悟はついた。 帰ったらすぐにでもイブに一緒に出かけねぇか誘って、オーケーとれたら気持ちをぶつける。 さっきのジャンプショットみたいに邪魔なヤツらを飛び越えてやる。 高ぶった神経を治めようと走らせているうちに、気がつけば夜が明けていた。 スタンドをたててバイクを固定すると、急に眠気が襲ってきてあくびをかみ殺しながらヘルメットを外す。 今日も授業はあるから確実に鈴原と話が出来るのは朝と夜になってからしかない。 一眠りしてる場合じゃねぇよな、言える時にいっとかねぇと……そんな事を考えながら歩いていたから異変に気がつかなかった。 あるはずの地面がない!? 踏み出した足がしずむ感じがしたあと体が浮いた。 「いってぇーーーー!!」 浮いたんじゃねぇ落ちたんだよ! 思わず自分にツッコミを入れながら周りを見渡すと、あからさまに怪しげな表面をしている箇所がいくつもあった。 ……その中の一つにひっかかったって訳か。 こんな事すんのはアイツしかいねぇ。くそっ! 手にしたヘルメットを腹立ち紛れに地面に叩きつけると猛然と玄関にむかった。 悪びれた様子もなくクスクス笑っている一宮の顔を、今まで何度殴りつけてやりたいと思ったことか……。 今も拳を握り締めたまま衝動を抑えるのに必死だった。 「ほんとバカだなぁ、羽倉」 「んだと!? てめぇ……」 プチッという音が頭の中から聞こえた。 それでも手を出さなかったのは、一宮の隣に立つ鈴原が申し訳なさそうな顔で俺を見上げていたからだった。 「……ゴメン」 俺はこの顔に弱い。 女が自己保身で媚びる顔には反吐がでそうになるが、こいつの場合は心の底から申し訳なく思ってるのがわかる。 すぐに突っ走る性格だから、まぁ俺も人の事どうこういえた性格じゃねぇけど、大方ニヤニヤ笑っている一宮にそそのかされて手を貸しただけなのは一目瞭然だった。 鈴原の目のまわりが少しずつ赤くなっていく。 泣き顔にはもっと弱い。 慌ててフォローすると、とりあえず部屋に戻った。 朝はダメだった……あとは帰ってからか。 一宮さえいなければ絶好のチャンスだったけど、覚悟を決めたとたんに歯車がおかしな方向に回りだしたような嫌な予感がした。 シュッという衣擦れの音をたてながらネクタイを結び上着を羽織る。 その上着にアイロンがかけられている事に気付くと、嬉しさと一緒に焦りにも似た感情が浮かんできた。 何もいわなくてもアイツは俺がどうして欲しいか先を読んで、さりげなく気遣いを示す。 それは俺に対してだけじゃなく、他の3人にもいえるからこそ焦っていた。 帰ってからじゃ間に合わなねぇ……祥慶の中でも探せば会えるはずだ。 時計をにらみつけながら退屈な授業をなんとかやり過ごして、ベルがなったと同時に教室を飛び出す。 カフェテリアに行けば捕まえられると簡単に考えていたからこそ、見渡した中に目当ての姿が見えないとわかった瞬間にまた焦りが襲ってきた。 アイツどこほっつき歩いてんだよ? 理不尽だとわかっていても焦る気持ちにブレーキをかけれなかった。 もう一回だけ確認のつもりで端から順に見渡していくと一人の女と目が合う。 「まあっ! 羽倉様!!」 ……んげっ。 甲高い声を出しながらイスをなぎ倒しそうな勢いで近づいてくるのは、遊洛院のとりまきの一人だった。 目的の人間が見つけられない俺とは対照的に、相手はまっすぐこっちに向かって来ている。 「悪ぃ、急いでんだ」 きびすを返して逃げるようにカフェテリアを出ると、閉じかかったドアの向こうから“お待ちになって~”と呼び止める声がした。 その声でさらに足の動きを早めながら、次にどこへ向かうか考えた。 いそうな場所をすべてあたったってのにどこにも姿が見えない。 仕方なく午後の授業がはじまるまでヒマをつぶせる場所を探そうと、ブラブラ学園内を歩いていたときだった。 ずっと探していた相手が目に飛び込んできた、ただし一人じゃねぇ。 理事長と……SG? その様子は仲良く立ち話ってわけでもなさそうだ。 ったく、アイツ今度は何に首つっこんでんだよ。 いくら御堂に頼まれたからとはいえ、なんでそこまで必死に……そこまで考えてハッと足が止まった。 まさか、という気持ちが胸を覆って目の前が暗くなっていくのを振り払うように、無理やり足を踏み出す。 今はそんな事にこだわってる状況じゃねぇ。 案の定、声をかけるとあからさまにホッとした顔で鈴原が振り向いた。 俺の登場にますます眉間にしわを寄せているSGと、無表情で突っ立っている理事長の前から去りながら、これで昼は完璧につぶれたと軽く落ち込んだ。 鈴原はといえば呑気なもんで、チャペルが怪しいとか御堂に報告だとか話続けている。 「おまえ、後は大人しくしてろよ」 責めるつもりはなかったのに、自分でも想像していなかったほど不機嫌な声が出た。 すぐに落ち込んだ顔になって口ごもる鈴原を見て自己嫌悪に陥る。 御堂の事に一生懸命になる様子をみて嫉妬したとも言えず、ちっぽけなプライドにしがみつくしかなかった。 肩をおとして理事長室に戻っていく背中を見送りながらため息をつく。 ゲームで勝った時に覚悟を決めたんじゃなかったのかよ、俺は。 小さく舌打ちをして鈴原とは逆の方向へと足を向けた。 家の中でチャンスをうかがうっていっても、掃除だなんだって夜中まで御堂にこき使われてるからな。 そういう契約で住む事になってるから仕方ないとわかっていても、御堂と鈴原の間に自分より強い繋がりがあるような気がしておもしろくねぇ。 晩飯前に捕まえられるかどうか……。 ふと目を上げると校門の少し先を見慣れた背中が歩いていた。 「鈴原」 考えるよりも先に呼び止めて、なにげないふりをして話しかける。 「理事長に頼まれた?」 ガキ用の絵本なんか大して興味ねぇのに一も二もなく誘いに飛びつく。 クルクルと表情を変えながら話す鈴原と並んで歩きながら、頭ん中ではいろんな計算をしては打ち消していたけど、どれも結論は“今は無理”に落ち着いちまう。 せっかくの機会だけど街の中は騒々しいし人も多すぎる、とてもじゃねぇが誘える状況じゃねぇ。 そもそもいくら考えたって女に誘いをかけるなんて初めてなんだから、どうすれば自然にさりげなく切り出せるかなんて浮かんでこない。 そんな俺の葛藤に気付くそぶりすらなく、真剣な顔で絵本を選びはじめた鈴原から少し離れたベンチに腰掛けた。 四方八方から聞こえてくる陽気な音楽が、逆に気持ちを静めていく。 しばらくしてふっと俺のほうを見た鈴原が、満面の笑顔で一冊の本を掲げたあとにレジへ向かっていった。 その笑顔を見て肩の力が抜けた。 俺は何を焦ってたんだ? あのジャンプショットが決まったときの興奮で自分を見失ってたのかもな。 ゲームに勝ったらとか御堂達より先になんて勝手に意識してたけど、鈴原を好きだっつう気持ちが揺らいだ事はなかったじゃねぇか。 とりあえず今はうるさいヤツらがいないこの状況を楽しんだ方が良さそうだ。 「おまたせー!」 満足げな顔をして駆け足で戻ってくる姿を見て、気を取り直すと勢いよく立ち上がった。 不思議なもんで、授業中はやけにゆっくりと感じた時間の進み具合が、気持ちが静まると同時に息を吹き返したように早まった気がする。 その感覚はうちに帰ってからも続いていた。 気がつけばもう十時を過ぎて家の中からは人が動く気配がなくなっている。 アイツも部屋に戻ったころか……。 部屋のドアを開け、心の中で十数えると階段を昇りだす。 今日一日あんだけ焦ってたのが嘘のように、心ん中は落ち着いていた。 ジャンプショットの弧が残像のように頭をよぎる。あん時は邪魔なヤツらを越えてやるって思ってたけど、本当に越えなきゃいけねぇのは余裕も自信もない自分自身だったんだろうな。 すうっと一つ深呼吸するとドアをノックした。 |
あとがき
またまたビリヤードネタでごめんなさい。
十代男子(笑)がデートの約束を取り付ける前の、揺れ動く気持ちを書きたかったハズなのですが……。
ビリヤードやった事ないし、どんな状況かサッパリだよ!という方の為に、おおざっぱな場面設定の解説ページを作りましたので宜しければどうぞ~→オマケ(別窓)